結論から。日本舞踊の扇子(舞扇)に決まった一つの意味はなく、場面ごとに月・波・盃・刀などに「見立て」られます。振りの意味は歌詞をそのまま動きにした「当て振り」、所作の意味は感情を型にしたもの。この3つだけ知っていれば、客席で踊りが物語として見えてきます。
日本舞踊の扇子は何を表している?
扇子は一つの物を表すのではなく、そのつど別の物に見立てられる小道具です。国立劇場の教材は、扇を「月や波、盃など事物にたとえるのに便利」なものと説明しています(文化デジタルライブラリー「扇と手拭い」)。
このように別の物に見せる技法を見立てと呼びます。日本舞踊協会も、日本舞踊の魅力として「扇で波を表す」ような小道具の見立てを挙げています(日本舞踊協会「日本舞踊とは」)。
よく出てくる見立ては、だいたい次のようなものです。あくまで目安で、流派や振付によって形は変わります。
| 扇の使い方 | 見立てられるもの |
|---|---|
| 半分閉じて口元へ運ぶ | 盃・おちょこ(酒を飲む) |
| 横にゆっくり動かす | 波・水の流れ |
| 開いて先で遠くを指す | 月・遠くの景色 |
| すっと突き出す・振り下ろす | 刀 |
| 顔の前に立てる | 鏡 |
| ひらひらと落とす | 落ち葉・花びら |
瑞鳳流の解説も、扇が「おちょこ」「刀」「落ち葉」「鏡」に変わる例を挙げて、「扇子の見立てを観察する」ことを初心者の見方として勧めています(瑞鳳流)。
振りの意味はどう読めばいい?
歌詞の名詞を1つ聞き取って、その直後の動きを見てください。歌詞をそのまま動きにする当て振りという技法があるからです。
国立劇場の解説では、当て振りは「詞章をそのままに表現する振り」で、「『山』では手で山の形を作り、『酒』ではお酌をして飲む動作」をすると説明されています(文化デジタルライブラリー「当て振り」)。歌詞が古語で全部は聞き取れなくても、「月」「花」「舟」「酒」あたりの名詞は耳に残ります。その一語を拾えば、振りのほうが意味を教えてくれます。
『京の四季』はこの見方がいちばん効く曲です。春の桜、夏の夕涼み、秋の紅葉、冬の雪見酒と歌詞が進み、扇が桜にも傘にも盃にも化けます。物語がないので、歌詞の季節と扇を追うだけで最後まで分かります。
全部の振りに意味があるの?
いいえ。意味のある振りと、リズムに乗るだけの振りが混ざっています。ここを知らないと「同じ動きばかりに見える」と感じます。
曲は五つの段でできていて、そのうちクドキ(心情を切々と踊る段)に当て振りや見立てが集中します。いっぽう踊り地は「詞章の内容よりも、リズムに合わせて踊るのが特徴」で、小道具を持たない「手踊り」になることも多い段です(文化デジタルライブラリー「踊り地」)。
つまり、ゆっくりした聞かせどころでは意味を探し、速くなったらリズムと勢いを見る。切り替えるだけで疲れずに最後まで見られます。
手の動きや所作には意味がある?
あります。感情もまた決まった型で示されます。瑞鳳流は「恥じらいは首をかしげ、悲しみは顔を伏せる」と説明しています(瑞鳳流)。
手紙を書く、髪を直す、涙を拭く、袖で顔を隠す——こうした日常の動作がそのまま感情のしるしになります。何を見立てているか分からない振りに出会ったら、「物ではなく心を表しているのかもしれない」と考えると、たいてい腑に落ちます。
扇子を2本持っているのはなぜ?
二枚扇という技法で、1本では出せない大きな表現をするためです。『鏡獅子』や『紅葉狩』で使われます(文化デジタルライブラリー「扇と手拭い」)。『鏡獅子』では扇を蝶に見立てて操る場面があり、手からこぼれるように扇が動きます。
また、扇には舞踊用の舞扇のほか、能に由来する中啓(ちゅうけい)という、閉じても先が広がったままの扇もあります。『三番叟』や祝いの曲でよく見かけます。
扇子以外の小道具も見立てている?
しています。手ぬぐいがその代表です。国立劇場の解説では、縮緬(ちりめん)製の手拭いは女方の「女心の描写と切り離せ」ないもので、木綿製は『三社祭』で「善の綱」の綱に見立てられると説明されています(同「扇と手拭い」)。舟を漕ぐ棹になることもあります(キッズ・ウェブ・ジャパン)。
傘や笠も同じです。『鷺娘』の蛇の目傘、『藤娘』の黒塗り笠のように、持ち物が役そのものを示すこともあります。
客席では何をすればいい?
「いま何に見立てたか」を1回当てられれば十分です。当てるのが目的ではなく、「いま何かに見立てた」と気づいた時点で、踊りが景色や物語に変わります。
とくに紋付袴や着流しで踊る素踊りは、衣裳の助けがないぶん扇がよく働きます。地味に見える素踊りこそ、扇の見立てを追うといちばん面白い、というのはそのためです。
このサイトで次に読む
- 小道具の見立て — 扇・手ぬぐい・傘・晒し:動画のクイズで見立てを当ててみる回
- 日本舞踊の『京の四季』:扇が桜・傘・盃に化ける、当て振りが分かりやすい短い曲